私のお気に入りのもの

「私のお気に入りの京都」「私のお気に入りの部屋」など「私」が展開する「私のお気に入り」シリーズの総本山。京都のことも書きますが、基本雑記です

【書評】ミニマリストに対する5つの誤解を本書とカイゼンの視点で考えてみる

 本書というのは、下の本のことである。

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

 

  

 僕はミニマリストたちについては、本書で知ったので、個人的にはものすごく納得できたが、テレビやニュースなどで知った人は、ほとんど誤解しているので、その誤解をちょっとまとめてみたいと思った。

 

 

誤解その1. ミニマリストは、災害用品備品を持たない

 

 佐々木さんの本書を読む限り、ミニマリストの定義というのは、ものの量ではないと書かれている。

 しかも、本書によると「東日本大震災などの震災で、ものに押し潰されるのを見て、モノに殺されるリスクを減らしたい」と書かれていた。災害用備品については特に深い言及はない。持っても持たなくても定義とは関係ないように思える。

 

 

誤解その2. ものが少ない対決をしている

 あの部屋と報道を見るとそう思う人が多いようだ。しかし、佐々木さんの本書を読む限り

「ものの少ない対決をしてもあまり意味がない」

と言い切っている。

 私がこの本を読んだ限りだけど、彼らは「ものの重要性」についてものすごく真剣に考えている。僕は今日、結束バンドを100円均一で買った。しかし、使う本数はわずか5本だ。残りの95本は多分押入れの肥やしにしてしまうだろう。

 彼らはどう考えるだろう。95本を売るなりして、真剣に使いみちを考えるのだろう。

 トヨタカイゼンと似た考えだと僕は思っている。生産現場で、中間在庫を限りなく減らすことやものを減らすことが無駄を省くという考えと同じに思える。これは、コストだけでなく全てにおいて有効な考え方だ。誰だって中間在庫なんてないほうがいいのだ。ものを小さく、機能的に、美しく、生産性を向上させることは、多くの技術者に取って理想のことではないのだろうか?

(しかし、現実には設備故障や生産量の変動、交通渋滞等で在庫は、生じてしまうのである)

ものが少ない対決というよりも、有効利用手段を精一杯考えているように思える。

 

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 誤解その3 マッキントッシュは必須。

 これまたすごい誤解だが、本書を読むと、作者がマッキントッシュが好きであることが明らかである。ただ、これは本書で紹介されているミニマリストたちの「類似点」であって、条件ではないだろう。また、作者はこのように言っている。

ミニマリストに正解はないのだ」

 

 誤解その4 最近の若者にありがちな傾向だと思われている。

 僕が嫌いな誰とは言わないが、若者研究者とかいう人物が言うには、ミニマリストのことを「最近の若者は物に執着しない」とか言っているそうな。

 お得意のマイルドヤンキーはどこに言ったのだろうか?? マイルドヤンキーにミニバン必須とか言っていたような気がするが。さらに、この人の本によると、当時の本人も若者らしい。とても若くないように思える。

 話がそれてしまったが、僕が思うに、若者研究の第一人者でさえ、若者のことは知らないのだ。「若者」なんていうのは、よく知らない自分より若い人を指す単なる差別用語に過ぎないのではないか?と思うのは僕だけではないはずだ。

 

 ミニマリストは、ものの使いみちを真剣に考えている。真剣に考えているからこそ、厳選するのだ。本書を読んでそう感じた。

 

誤解その5 スマホ中毒と思われている。

 この考えに対して、作者は全く逆説的な意見を言っている。

スマホがあるからこそ、あらゆるものを捨てられる」

これは生産性向上のために、専用の機械を導入するか、汎用の機械を導入するかに似ていると思う。専用の機械を導入すれば、専用なため、綺麗に仕上がり、素早く対応できるかもしれない。しかし、場所はとるし、機能は限られている。

 汎用の機械は、仕上がりが微妙かもしれないし、素早く対応できるとは限らないが、機能は汎用的であり、仕様変更などに柔軟に対応できる。スマホは、携帯電話と違って、汎用性に遥かに富んでいる。カメラ・音楽プレイヤーだけでなく、読書、懐中電灯あらゆる機能に使える。

 

 また、作者はこのようにも言っている。

 「趣味はこだわる」

この本の特筆すべきポイントは、趣味についても、定義があることだ。

 「長年使っていないものを趣味と呼べるのだろうか?」 

 

  また、カイゼンの視点から、考えると何もモノを持たないのは、安全や品質、生産性向上、コスト低減に反しない限り理想の極地なのではないだろうか?彼らの登場は、社会が豊かになった証拠であり、決して批判されるべきものではないと思う。

 

 ミニマリスト達は、ものを少なくすることよりも、自分の生き方を徹底的に考え、辿り着いた結論として、ものが少なくなっていただけのようにも思える。むしろ、ものに溢れかえった私達が、普段どれだけものに支配された考えをしているのか、省みるべきではないだろうか? というか批判する時点で、省みる姿勢がないのはちょっと問題のような気がする。

 

 そんなぐうたらでだらしない私達を置いて、彼らはどんどん自分たちの生き方を模索していくのである。