私のお気に入りのもの

「私のお気に入りの京都」「私のお気に入りの部屋」など「私」が展開する「私のお気に入り」シリーズの総本山。京都のことも書きますが、基本雑記です

【京都】結局バスは、安かろう悪かろうな乗り物なのだ。

 今回の軽井沢での事故、非常に痛ましいことだと思います。若い命が失われた・・と世間では言っていますが、若かろうが年寄りだろうが、人の命に差はありません。差はないのです。だけど、差が出てきてしまうことがあります。

 「お金」によって出てきたり、「身分」によって出てきたり、「経験」によって「情報」によって・・・それらが人生を変えてしまった。なんて話はかなりあります。じゃあ、金があれば、身分があれば、経験があれば、すべての不幸から解放されるのでしょうか? それはある程度合っていると思います。だから、バスや電車を選ぶことは愚者の選択としか思えません・・・・・。

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 でも、本当にバスは安かろう悪かろうな乗り物なのでしょうか?

 今回の件、皆さんは「バスは結局、安かろう悪かろうな乗り物なのだ」と思われたのかもしれません。しかし、私はそんな単純に決めつけれないと思いますし、そうではないと思っています。バスこそ、京都を含む観光の要であり、決して外すことができない乗り物なのです。

 

バスでなければいけない場所がある

 

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例えば、京都三尾で名高い髙山寺、神護寺など。ここは、昔俗世から離れた人たちが修行をする場でした。つまり、庶民が行くにはそんな気軽な場所ではなかったはずです。ここを走っているJRバスは、非常に険しい道であるにもかかわらず、朝早くに運転手の方が、1000円以内の値段で京都駅を往復しているのです。こんなにありがたいことはありません。もっと感謝すべきです。

 

 青蓮院門跡の将軍塚もその一つです。初めての人が行くのはかなりきつい場所です。初めて観光する人が、そのバスに乗っているだけで、行き方がわからない目的地に行くことが出来るのです。初めての修学旅行が、京都だったという方。バスに相当助けられていると思います。

 

京都は、バスにとって理想郷

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京都は、バス(路線・観光バスおよびその駐車場など)がかなり整備されている場所だと私は思います。

 

 それこそが京都の底力であり、魅力です。観光客特に、「初めてのひと」にはものすごくいきやすいのです。

 例えば、隣の奈良県だったらどうでしょう?

 僕が初めて行った時なんて、鹿にパンフレット食われるわ、ホテルはないわ、食事するところは少ないわ、京都に戻るのにJRで帰ったら、すごい時間がかかるわで大変でした。特に食事とホテルがもう・・・。修学旅行のバスで奈良にいったところでは、そういったところでも乗っているだけで行けるのです。

 私は奈良県をばかにしているわけではありません。京都がほかの都市と比べて、比較にならないほど「バス」や「電車」の環境が充実しているといいたいのです。奈良県については、隣の滋賀県も同様の問題を抱えているです。

 例えば、草津や大津で駅を降りても、近くに観光案内を見つけるのに一苦労で、JR以外の電車やバスを見つけるのもそれなりに大変です。(ないとは言ってません。あるのですが、結構わかりずらいのです。)

つまり、観光用の交通機関が充実している県と充実していない県との差がが激しすぎる今の日本は、観光立国なんてほど遠いってことです。

 その差を埋めるのは、バスしかないと思っています。今後の観光の主流はバスになっていきます。バスで多くの人間がその地を訪れるようになれば、日帰りだった観光客が、1泊2日になり、リピーターが増え・・と今の京都のような都市になっていくと思っております。それはリニアでも何でもありません。新幹線だけではだめなのです。

 だから、バスは、絶対に観光では外せません。それだからこそ、皆さんには、安全性については、しっかり見極めてほしいのです。運転手の顔を見るだけでいいのです。運転手に迷惑をかけない乗り方をすればいいのです。それだけで、バスの質はわかると思います。どうして運転手のことを見るのが重要なのかって?

 

もし、タイトルのように思っているのなら、皆さんは、あの事故を忘れてしまったのですか?

 私はその事故が起きた時、関西に住んでいた学生でした。

だから、この事故は絶対に忘れることができません。この事故の後、多くのことが変わってしまいました。

運転手は事故前にオーバーランをしています。運転手の小さな変化に気づいてあげてください。

 


安全誓い冥福祈る 尼崎脱線事故7年

 

もし忘れてしまったのなら、相当悲しいです。

遺族・被害者にとっては、バスだろうが電車だろうが事故にあったら、一生ものなのです。

 

安全はすべてにおいて優先されます。そこにお金や身分や経験や情報は関係ありません。

 

(このブログは、脱線事故の風化に対し、怒りを込めて書きました。)